特ラ連発足10周年を祝す


日本大学芸術学部 

 学部長 八木 信忠

 特定ラジオマイク利用者連盟設立十周年おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。限りある電波の枠を有効にプロの世界で利用するために、日々ご苦労されている役員の皆様のご努力に敬意を表したいと思います。
 私は無線電波による信号の伝達に関しては不勉強、素人なのでそのせいもあってか、どうしても不安定なもの、危なっかしいものという先入観がいまだに気持ちのどこかにあるような気がします。
 東京オリンピックが開催されようとしていたとき写真判定のシステムの構築に日々を過ごしておりました。タイマーを駆動するトリガー信号はスターターのピストルの音(接点)で行うのですが、国立競技場のスタートラインと写真判定機の設置場所はかなりの距離があるので、ワイヤレス無線電波による信号の伝達を行おうとアジア大会のときから実験を行いました。数百メータのコードをトラックの地下に埋める作業は大変お金がかかったようです。もうひとつ、1989年SMPTE総会の会場へ日本映画テレビ技術協会のお祝いのメッセージをハイビジョン信号でインテルサットに送り届けようとした時です。
 アメリカ大陸へ初めてのハイビジョン信号による中継です。KDDの著名な博士の技術者と大会会場のロスアンジェルスに参りました。本番の一時間前になっても映像信号が東京から届きません。KDDの技術者は汗をかきながら受信機の調整をしているのですが受信できません。「インテルサットはどうも古くなって電池の寿命がないのでくるくる位置が変わっているのかな」などとつぶやく技師、そのうち受信機の中間周波トランスとおぼしきもののダストコアのねじを調整している様子、私も高校生のとき5球スーパーラジオを何台も作りましたがそのとき購入したコイルキットには『このねじは測定器なしではいじらぬこと』と赤い文字で記されていたことを思い出しました。
 3000万円使ったこのプロジェクトは失敗か、天を仰いでしばし祈る気持ちでした。しかし本番5分前いとも鮮やかな高精細な映像が東京から届き、超満員の会場から驚嘆の声が上がりました。こんな冷や冷やした経験を重ねているので無線は危ないという意識が植えつけられたのでしょうか。いずれにしろラジオマイクというものは便利この上ないものです。便利さゆえに安直に使われている場合もありますが、これにより音響表現の世界は広がったのも事実です。大事に使い広げて行くべきなのでしょう。そにしても使い手が多くなれば交通整理も大変です。連盟の皆様のますますのご発展を祈念し合わせてご苦労様と申し上げます。


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