2014年9月1日 第140号  前 目次 次
そんな・こんなの50年目
おはようございます。
 

『イントロ』

 毎度、レポートの原稿不足とのことで、年金のQちゃんこと、東京厚生年金会館に在籍した、わたくし鈴木久利が書いてみました、あしからず。
 私が裏方の世界に足を踏み入れたのは、昭和40年4月であり現在50年目を迎えることになった。その頃の時代背景には“集団就職”“金の卵”という言葉があり、若い労働力、そして若い者であれば賃金が安く済むとのことから作られた言葉でもある。
 厚生年金会館は社会保険庁(当時)の厚生年金保険を基に作られた施設であり、昭和36年4月に開館した。この施設は大ホール(2,406名収容)・小ホール(706名収容)・婚礼、集宴会室、ホテル、和食堂、レストラン、バー、喫茶サロン、理容・美容室、囲碁・将棋室等がある、この時代には珍しい複合施設であった。厚生年金会館の婚礼は人気があり申し込み日には長蛇の列ができる事も、年間約3、000組もご利用いただいたとの話もあり、予算達成時には大入りが配られたこともあった。
 この会館も時代により名称が変わっていった。
 各地方に厚生年金会館が建設され、地域名を付けた東京厚生年金会館、北海道厚生年金会館、石川厚生年金会館、愛知厚生年金会館等と命名された。東京の場合、テレビ等メディアには新宿の厚生年金会館と紹介されたため、一般的には新宿厚生年金会館で呼ばれた。
 厚生年金の原資により建設された施設は約120施設にも及んだが、平成26年3月末をもって残念であるが全ての施設が整理されたのである。

  

『東京厚生年金会館へ入館して』

 そんな東京厚生年金会館ホールに関してのお話をしたいと思う。私が入館して最初の仕事は舞台係りとして配置され、次に音響係りを担当することになった。そこで初めてワイヤレスマイクロホンに出会った。
 そのワイヤレスマイクの周波数は40メガヘルツ帯でアンテナは非常に長く、使いにくいものであった。印象に残っている事は、吉永小百合リサイタルにおいて、この40メガ帯のハンドタイプが使用され、衣装替え等で下がってきたときに、ワイヤレスマイクを受け取り調整し、ステージに上がる際お渡しをしたことである。
 ここでホール設備としてのスピーカーについてご紹介すると、当初はビクター製の3ウエイがプロセニアムに、花道には三菱ダイヤトーンが設備されていた。その後アルテックスピーカーに変わり、そして移動用にマーチンを購入した。最終的には、タッドのユニットを使用し、ホーンはウッドホーンを使用、ウーハー用ボックスにはアピトン合板を使用し、チャンネルデバイダーに関してはその時代には無かった、デジタル20ビットリニアをソニーの特器部門に開発を依頼し作成して頂いた。結果は素晴らしいものであり、AESの雑誌に東京厚生年金会館の新しい設備として掲載された。
 過去の事であるが、私がスピーカーシステムで一番印象に残っていることは、PA会社の担当者が持ち込んだシュアーのボーカルマスターである、ゾイレタイプのスピーカーで出力200Wとのこと、これは凄いと思った。
 私が音響係りをしていた時代の仕事は、いわゆるPA専門会社が少なく、全ての内外のタレントの仕事は殆ど小屋付きの音響担当者がPAを担当していた。
 PAの技法としては生音を主とし、弱音のみのPAであったが、日替わりメニューで色々なジャンルをこなし、これが楽しみでもあった。
 近年、スピーカーの性能の向上によりホールのPA技法も、現在のSRのミキシングの技法に変わっていった。音響調整卓もアナログからデジタルと進化している。厚生年金会館ホール初代の音響調整卓には、今では当たり前のアウトプットマトリックスが装備されていたことは驚きであった。

 

『全国ホール協会』

 東京厚生年金会館と係わりのある全国ホール協会に関してのお話をしておきたい。
 ホール協会は昭和37年に設立され、目的としては各ホール・劇場・音楽堂等に従事する技術者の技術力、及び芸術に関する知識の向上を目的とし、依頼があれば新規施設職員の長期研修を無償にて受けること、各地にて短期の研修会を行い、舞台・照明・音響の部会に分かれ情報交換等を精力的におこなった。中野サンプラザに事務局が置かれ最終的にはホール協会は解散してしまった。
ホール協会の事業で印象に残っていることは、その時代のそれぞれの機器の展示及びデモンストレーションが行われた、ということである。
 実験劇場と銘打って人間のメイン出演がない、舞台の道具・照明・音の三位一体の構成による表現を主とし物語が進行してゆく。
 この公演は初演としての題名「杖つき坂」・2回目として「仮面の四季」が上演され、雪の日・雨の日に関係なく、東京厚生年金会館大ホールが満席となった。関係者を含め一般の方々が如何に興味を持たれているかが窺えた。

 

『山積する問題』

 こんなことを思い出すのも、近年、世の中に不安材料が蔓延しているからである。
 今後の劇場等の施設に関しては、時代の流れに密接に関係する事であり、新聞を見ると少子高齢化及び大都市への一極集中化が進んでいること、このままだと地方自治体が崩壊する恐れがある。
 出生率が上がらず都市への一極集中がおさまらないと税収がなくなり、消滅する自治体が出てくるかも知れない。そうなってはそこに居住する住民にとって、文化・芸術などと言っていられなくなるのではないか。
 なぜなら施設の文化・芸術に関しても、また、施設の継続には予算が絡むからである。
 大都市でもそのような状況が出現すると思う。それは都市として人の流入はあるが少子化の歯止めにはならないと思われるからだ。
 労働者の低賃金、長時間労働、居住費などの収入に対する比率の問題、子育て環境に関する問題、保育園の数が少なく共稼ぎがむつかしい状態である。子供が公園で遊んでいるのがうるさいと近隣からの苦情があり、のびのびと子育てができない状況である。
 このような状況から、とても結婚し子供を産む気にはならないと思われるのだ。
 今後は、一極集中化を緩和し、地方で生活ができ子育てができる環境を図り、そのためには、地方自治体が活性化するように、内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)の活躍に期待したい。
 文化・芸術に関しては劇場法等関連する法律を有効利用し、庶民の為の文化・芸術の基盤となる施設の構築を考えていただきたい。,br />  なお、劇場運営だけでは、経営は成り立たないため、一般企業に文化・芸術の発展に関心を持っていただき、経営への参加をうながしたい。そして共に施設が存続できる環境づくりに期待したい。
特ラ機構 理事   鈴木 久利


前 目次 次