放送ジャーナル社 松山 裕美
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搭乗口でチケットを入れると、高い確率で別列へ並ぶよう指示を受けます。ここに並んだら最後、我慢強くボディチェックと手荷物検査の順番を待たねばなりません。でもそれも当然といえば当然。今回の目的地は開幕まで2週間をきった米国・ソルトレークシティ、その放送システム取材のために1月20日に成田を発ち経由地のLAまでやってきたのですから。ランダムなチェックとはいえ、やはり外国籍や一人客が選ばれているような。私などは格安チケット利用者だからか、ほぼ毎回ここの常連で不公平感が募ります。手荷物検査が終わると両手を水平に挙げてボディ・チエック。脱いだ靴は中敷まで調べられ、搭乗する頃にはへとへとです。米国ではテロ以降、搭乗前の検査時間を見込んで「国内線で2時間前、国際線なら3時間前に空港へ」という暗黙のルールが出来上がっていました。

到着したソルトレークは−1℃。−20℃の日もあるそうですが思っていたほど寒くはありません。現地赴任の方いわく、湿気がなく風も少ないぶん気温ほどの実感はないそうです。高層ビルもまばらな街はスキーファンなら感動ものの見事な雪山を背景に、真新しいトラムも走っています。ただ市の内心部にしては人が少なく静かな印象。これには宗教的な理由も関係しているようで、この街の大半を占めるモルモン教徒の方は家庭を大切にするため、オリンピック前に増えたとはいっても元々外で遊ぶような場所が少ないそうです。ただし「飲めないのでは」と危惧していたコーヒーはオリンピック前にスターバックスなどが急増していて不自由しませんでした。気になるお酒ですが普通はメニューにないとのこと。しかし大半のお店では注文すれば出てくるという噂です。

オリンピックの放送を行う IBC放送センター≠ヘ市の中心部、街のシンボルとも言うべきモルモン大聖堂の程近くに建設されました。広さは約30万u。建物は主にメディアとブロードキャストの2部門に分かれ、編集室/スタジオ/オフィススペースなどの 430室で構成されます。ここで世界80以上の放送局から約6千人が訪れて放送業務にあたるとのこと。

今大会の放送形式がこれまでと大きく違うのは、今回からISB(International Sports Broadcasting)がホストブロードキャスターとして競技の国際映像制作や各国への配信業務の全てをSLOC(SaltLake Oraganization Committee)から請け負うことです。ISB が全競技の放送信号を作成し、全放送局へ分配します。 ISBの代表を務めるマヌロ・ロメロ氏はサマランチ会長の右腕として活躍してきた人物で、ISB は既に次回・アテネオリンピックへの準備も昨年5月から進めているそうです。

日本への放送には、NHK・民放各社で組織したJC(Japan Consortium)が先述の ISBからの配信をもとに放送信号を作成し、これに各局が独自取材した素材映像を交えて加工して利用します。JCでは、技術/演出/アナウンサーら計72名の日本人スタッフと通訳や現地スタッフの総勢 120名が活躍。今回のJCの大きな特徴は2つあり、1つは NHKが放送の全てをHDTVレートで行い主力設備はPanasonic 製のD5を中心に、一部をソニー製 HDCAMのファシリティーで組んでいる点。また今回ホスト映像の一部がハイビジョンでフィードされるため、これに独自映像を加えて NHKのプログラムに利用することがあげらます。なおプログラムは全てD5で収録。設備としては、ハイビジョンレート編集機(再生用2台/収録用1台)、心臓部のマスターコントロールルームでは現地から東京まで2チャンネル分の回線を確保していました。

今回いくつかの競技場も見せて頂きました。地の利を活かしてスタンドから競技を一望できる設計のクロスカントリー/ノルディック複合/バイアスロン会場や、国際規格に合わせるためリンクを増幅中のアイスホッケー場。それにしても開幕まで2週間というのにほとんどの競技場が工事中なのには正直驚きました。ホッケー場は開幕5日前の完成とか。警備強化のためにどの会場も設営も遅れがちなのだそうです。既に取材者としてエントリー済の私たちも入場時には必ず写真入りIDの呈示を求められます(これは IBCも同様)。また取材に向かうにも、いくつかあるルートから指定された道を利用せねばなりません。その道程が複雑すぎてドライバーが迷ってしまったほど。しかし、ただ厳格というよりは慎重を期してという意識は伝わってきました。受付や案内として多くの無償市民ボランティアが活躍しているのですが彼らはいつでも笑顔で迎えてくれましたから。

限られた時間/駆け足でめぐる取材ゆえ、帰国後に大活躍してくれたのは旧型のテレコでした。ハイテンションになりすぎたのか、なぜか記憶の途切れた部分も多く…。しかも帰国直後に体調を崩し「食中毒かも」と医者に行ったら「今、米国でインフルエンザA型が流行ってるからねえ…」と診断され、先生がどこでそんな情報を仕入れたのか気になりつつもダウンしてしまいました。こんな知恵熱とともに挑んだ取材で〈この機会を活かしきれたのか〉と、多少悔いる部分はありますが『百聞は一見にしかず』を実感した貴重な経験であったことに違いはありません。

今回の取材は、厳戒態勢という特殊な条件ながら大会の公式スポンサーであると同時に長く大会の放送システムを支え、ISB ・ロメロ氏からの信頼も厚い松下電器・オリンピック事業部/放送事業部の方々のたいへんなご協力のもと実現しました。また私の英語力が乏しいために、準備段階から映像新聞のクレメンス・広子さん(写真:右が広子氏、左が筆者)に多くの力添えをお願いしました。
この場をお借りして、深く感謝させていただきます。