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 幕張メッセにおいて、去年の11月15日〜17日まで『2000年国際放送機器展』(InterBEE2000 日本電子工業会主催)が開催された。
 会場に入る前に目にはいったのは、『BSデジタル放送』を立ち上げた放送局各社の宣伝パネルである。白黒からカラーになったのと同じくらい画期的な事といわれている、新しい放送形態は、双方向のデータ放送を可能にするなど、すでに普及しているケータイが、『話す』だけでなく『使う』ようになったのと同様、テレビも本来の『見る』だけでなく『使う』という時代になった。
 過去、さまざまな技術が生まれ生活の中に溶け込んでいったそれらの多くは、『こうしたい』という欲求が前提であった。先のケータイも、外で自由に使えたら便利だという考えから生まれたし、今日当たり前のPAも多くの人に音を伝えたいということが、電気的な技術をともなって普及した。また、芝居上での四季の移ろいとか、一日の日差しの変化を表現したいということが、舞台照明の技術を発達させた。
 『使う』ということは意識として能動的である。『こうしたい』という欲求がこの行為を起こさせる。今回のBSデジタル放送は、『こういうことができますよ』という可能性をまず提示した。これが今回、技術が先行したと云われている所以で、国民の反応が鈍い原因のひとつと考えられている。しかし、今後増えていくであろうデジタル技術を介した新しいライフスタイルの提唱に対して、私たちはそれを、寛容に受け止める必要がある。なぜなら、デジタルの可能性を創っていく立場にある技術者は、生活に利便性を求める一市民でもあるからである。
 新しい技術の種は絶やしてはならないと思う。もちろん技術が一人歩きしても経済効果は薄いし、また、発想、欲求だけでは何も生まれない。両者がうまく解け合うことによって、 多くの人に理解される。
 思えばケータイについても、本来それを必要とすると思われていた人達以外に、若い世代、とりわけ女子高生のあいだに、これほど爆発的に受け入れられるとはだれも想像しなかった。価値観が定まらない今だからこそ、思ってもみない可能性が秘められているわけで、それが新しい価値観をつくっていくことになるのだろう。        (青木)