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ワイヤレスマイクを回顧する

実吉英一様特ラ連20周年、おめでとうございます。「回顧」などと言えるようなキャリアも実演もないのですが、私の狭い経験の中で触れたワイヤレスマイクの事を記してみたいと思います。
 私は1972年、劇団四季に演出部研究生として入り、音響スタッフとしてミュージカル、芝居に携わり始め、この時からワイヤレスマイクとの付き合いが始まりました。当時使っていたワイヤレスマイクは直径2p、長さ20p程の円筒状で、送信機と一体になっていて1m位の紐状の送信アンテナが付いていた。衣装に固定するためのクリップが付いていて、衣装の胸あたりに穴を開けて内側にワイヤレスマイク用の袋を付けたり、スーツの襟の内側に袋を付けてワイヤレスマイクを入れていた。周波数帯は40MHz帯で同時には3〜6波位使い、1波に付き2〜3本の送信機を用意し、送信機のスイッチのon/offにより各波1本だけが生きるようにしていた。送信機は1A、1Bなどと呼んでいた。俳優さんが衣装の上から、時には舞台上で親客の目を盗んでスイッチの操作をするので非常に危険であった。また送信機の周波数がずれることも珍しくなく、送信機には調整ねじが付いていた。電源の電池は水銀電池を使用しており、価格も高価で手に入り難い地域もあった。また使用済み電池の廃棄にも神経を使った。この頃は池藤製の製品を使っていた。
 1982年頃になると小型マイクと送信機が分かれている「2ピース」タイプのものを使うようになり、アンテナダイバシティのシステムを採用した。これによりマイクを装着した胸元はすっきりした。またデジタルディレイが安価に手に入るようになり、音像の定位のさせ方も変わってきた。83年には「CATS」が開幕した。この時に400MHzのラムサ製のダイバシティタイプの製品を8波採用した。この時も1波に付き2本の送信機を使い「A、B」を切り替えながら使い、電池も一般に市販されているアルカリ電池を使用できるようになった。また「CATS」はテント劇場での公演だったので、電波的には屋外と変わらず外部からの電波にも悩まされた。86年頃からマイクヘッドをMKE2にして頭に付けるようになった。これによりマイクも小さくなり、頭がどっちを向いても安定しトタイプのマイクを使い、口の近くで収音するようになった。30人位の出演者のミュージカルでは、出演者全員がワイヤレスマイクを付ける公演も珍しくなくなった。私は使っていないが、ステレオのイヤモニターも生まれた。振り返ると電波の受信に関しては、安定度はかつてとは雲泥の差である。「落ちる」ということは、まずなくなった。音質も圧縮技術の進歩だと思うのだが、格段と良くなった。またスピーカーの指向性制御の技術の進歩、デジタル化によるプロセッサー、ノッチフィルターの進歩による音質の向上もあり、ハウリングに対しても強くなったと思う。しかし、俳優がワイヤレスマイクを着けていることを視覚的に目立たないようにするためには、また舞台中にワイヤレスマイクの音を返すためには、ハウリング、音のにごりに対してまだまだ考えなくてはいけない。汗の対策も考えなければならない。
 われわれはワイヤレスマイクを使う事によって、俳優が自由に動いていても声を大きくする事が出来、大きな劇場で大勢のお客様にミュージカルを観ていただけるようになった。しかし台詞が、歌が大きく聞こえることで何が伝わっているのか、芝居のメッセージがきちんと伝わっているのか、という事を最近考えてしまっている。これからもワイヤレスマイクのハードとソフトは、ますます進歩していくことと思います。

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